棺桶に入って、気づいたこと

2018年4月16日

突然ですが、「棺桶に入ったこと、ありますか?」

 

私は、2回入ったことがあります。

しかも記念すべき1回目は、棺桶で1泊寝ることに。

もう5年以上前になる越後妻有アートトリエンナーレという芸術祭で泊まったマリーナ・アブラモヴィッチが手がけた「夢の家」

厳密には、棺桶とはうたっていませんが、明らかに「これ棺桶でしょ!」というもの。ほらね。

 

マリーナ・アブラモヴィッチ「夢の家」

しかも、4色の色の部屋を当日宿泊する方と相談して選ぶというもの。

私は当然、赤の部屋にしました。窓に赤のフィルムが貼ってあり、外から陽の光が入ることで部屋全体に色が溢れていきます。

寝床は、ほぼ棺桶ですから木。布団はありません。枕は石でできたもの。

(もちろん入りたくない人用に布団は用意されてますが、ここに泊まる人は使わないでしょうね)

この空間は、生と死が入り混じったような不思議な感覚がありました。生きるって、死ぬってなんだろう。そんなことを強烈に感じたのを覚えています。

 

そして、2回目は2017年5月20日。

僧侶であり理学療法士でもある鈴木秀彰さんが講師のワークショップ「自分のお葬式プロデュース!本当のあなたらしい生き方との出逢い」(主催おととわ)に参加した時です。

ひすいこたろうさんの書籍を題材に、新聞「自分の死亡記事」にどのように書いてもらいたいかを自分で書きました。スティーブ・ジョブズの「毎日を今日が最後だと思って過ごそう。いつか本当にそうなる日が来る。」という言葉が浮かび上がります。

 

・死を意識するとは、生を意識すること。

・今、ここ、自分 を大切にする。

・お疲れさまでした!とさりげなくこの世を去りたい。

そんなことを思ったわけでした。

 

次に、実際の棺桶に入ります。(もちろん希望者)

「棺桶に入る」という行為は、能動的に死に向きあうことかもしれません。

まして自分の足で棺桶に入ることは通常ないですからね。

本番は皆さんに入れてもらうことになるでしょう。

思いのほか、棺桶の中は包まれるように心地よく、何だか昔入ったことがあるようなデジャヴ感。

 

蓋を閉めてもらい、お経をあげてもらいました。

棺桶の中から聞こえるお経の声は、外から聞くのとまた違って何だか落ち着く不思議な響き。

最後に、棺桶の窓が閉められ、漆黒の闇が訪れた瞬間「あ、終わった。」と感じました。

死んだ時のことはわからないけど、死のシュミレーションは体験できたように感じます。

 

そして最後に、「今日が最後の日だとして、何をしますか」という問い。

昔みた映画で、「死ぬまでにしたい10のこと」を思い出す。

そうか、自分のしたい10のことを書いてみよう。

そう考えたら、さりげなくていねいに過ごしたいという想いが沸き上り、あまりにも日常的なことがリストアップされてきました。

 

・ていねいに朝食を作り、コーヒー豆を挽いてじっくり味わうこと。

・公園まで散歩すること。

・感謝の手紙を書くこと。

・そうじをすること。

・オーディオに火を入れて、ノラ・ジョーンズを聴くこと。

 

うーむ、これって今すぐできることだけど、してないことじゃん。

もっと、ていねいに暮らしていきたいな。

棺桶に入って気づいたのは、日々をていねいに暮らそうということでした。

 

皆さんも、こんな問いをしてみてはいかがでしょうか?

・自分が死んじゃった時、どんな死亡記事にしたいですか?

・今日が最後の日だとして、何をしたいですか?

・今日、何をしましょうか?

 

 

人生、楽しみましょうね!

Have a Nice Day!!